幸せ読書

読書を通して、小さな幸せ見つけたい。

「活版印刷三日月堂 星たちの栞 」 ほしおさなえ ポプラ文庫

川越の街の片隅に佇む印刷所・三日月堂。店主が亡くなり、長らく空き家になっていた三日月堂だが、店主の孫娘・弓子が川越に帰ってきたことで営業を再開する。三日月堂が営むのは昔ながらの活版印刷。活字を拾い、依頼に応じて一枚一枚手作業で言葉を印刷する。そんな三日月堂には色んな悩みを抱えたお客が訪れ、活字と言葉の温かみによって心が解きほぐされていくのだが、弓子もどうやら事情を抱えているようで――
(紹介文引用)

本作品は、ブログ友達のべるさんに、お薦めして頂いた、ほしおさなえさんの川越を舞台とした3シリーズ『活版印刷日月堂シリーズ』、『紙屋ふじさき記念館シリーズ』、『言の葉のお菓子番シリーズ』の1つです。

何故このシリーズから読み始めてみようかと思ったかと申しますと、実は、私の父の姉、つまり伯母にあたる人が、昭和の頃、自宅で活字を拾う仕事をしていたのを微かながら覚えています。印刷まではしてなかったと思うのですが、沢山ある活字を拾って組み合わせてたのをおぼろげながら覚えています。もしかしたら、この本で「手キン」と呼ばれているものだったのかも知れません。その伯母の旦那さんが、活版印刷機の販売を商社的に行っていたと聞いた覚えもあります。私が幼稚園児か小学生ぐらいの頃は、まだ、活版印刷機の商売も順調だったようですが、DTPワープロが普及し始めると同時に、少しずつ商売が減って行ったと後にその伯父さんがリタイアされてから話を伺ったことがありました。そんな話しを聞く経験が少しだけありまして、今回の作品『活版印刷日月堂』シリーズの活版印刷に興味を持って、一番最初に読んでみようと思いました。

この作品、本当に素敵。心がほっこり温まるお話しでした。

本作品は、4つの短編作品からなる連作短編集です。4つの作品とも、川越に帰って来て、活版印刷日月堂を再開した、弓子さんが、とあるご縁で知り合った4人の主人公の抱える悩みや問題を、一緒になって親身に相談に乗って、活版印刷で役に立って解決して行くという素敵なお話しです。
1つのお話しに、1つの作品が出て来るのですが、どれか1つを選ぶならば、私は高浜虚子の句が印刷されたコースターの現物が見てみたい。と言うよりそのコースター欲しい!と思いました。

本作の最後に「活版印刷について」という、解説の章がありまして、そこで、作者のほしおさなえさんが、「技術が進歩し、活版印刷どころか紙の本さえもいつかなくなってしまうのかも、と思うことがあります。それでも「かつては活字という物体があり、本を作るときには一冊分の活字をだれかが拾い、ならべていた」ということを伝えたくて、この本を書きました。」と熱い思いに触れて、こういう素晴らしい方がいらっしゃるから、伝統って、次の世代に少しでも受け継がれていくだなぁと尊敬の念を抱きました。また、ほしおさなえさんは、最後に「一九七〇年代までの本なら、まず活版印刷です。八〇年代も途中までは活版の本が多かったと思います。」と書いてらっしゃいました。もう少し時間がゆっくり取れるようになったら、その年代の本を図書館で探してみたいなぁとも思いました。

最後に、素敵な作家さんの素晴らしいシリーズを教えて下さったべるさんに心より感謝してます。

「巷説百物語」 京極夏彦 角川文庫

怪異譚を蒐集するため諸国を巡る戯作者志望の青年・山岡百介は、雨宿りに寄った越後の山小屋で不思議な者たちと出会う。御行姿の男、垢抜けた女、初老の商人、そして、なにやら顔色の悪い僧――。長雨の一夜を、江戸で流行りの百物語で明かすことになったのだが……。闇に葬られる事件の決着を金で請け負う御行一味。その裏世界に、百介は足を踏み入れてゆく。世の理と、人の情がやるせない、妖怪時代小説、第一弾!
(紹介文引用)
 

これは、掘り出し物だったぁ〜!!!
いやぁ〜面白かった!!

この『巷説百物語』シリーズは、以前から知っていたのですが、何故、今まで手を出さなかったんだろう。それは、一重に、自分があまり時代物は、得意じゃないからという思い込み、または、食わず嫌いからだと思います。人生を振り返っても、歴史小説って、吉川英治の『三国志』しか読んだことが無かったもので^^;

この『巷説百物語』は、7つの短編作品からなる連作短編集で、いずれの短編も素晴らしくて、甲乙付け難いです。五作品目の『塩の長司』も、大掛かりな仕掛けで、どんでん返しに次ぐどんでん返しで、まるで中長編物の面白さがありましたが、私としては、やはり一作品目の『小豆洗い』の非常にコンパクトでスピード感もあり、理詰めで悪人を追い込む所が1番好きですね。この一作目のインパクトが大きくて、一気に巷説百物語の世界観に入っていけたのだなぁと思います。

また、本シリーズは、京極堂シリーズとは反対の、妖怪を憑き物落としで落として解決するのではなく、妖怪に見立てて?妖怪に絡めて解決して行くところが異なって、またそこが、大変よく出来た作品でした。構成の妙と話の進め方の巧みさで、読者に一気に読ませ切らせる筆致は、流石は京極夏彦だなぁと思いました。

登場人物も、小股潜りの又市、山猫廻しのおぎん、事触れの治平、そして─考物の百介と非常に個性豊かで、一癖も二癖もあるキャラクターがとても良かったです。特に、又市とおぎんが、江戸っ子言葉で、捲し立てるところが粋でカッコ良かったです。

また、いつもの蛇足ではありますが、
『芝右衛門狸』の話の中に「それからあれは大坂の、二八饂飩屋の亭主であったか。あの夜は、糸屋の丁稚小僧であったよな。ざくりと斬ったな。顔を割ったな。血がだくだくと出たな。啜りたかったであろう。ほら思い出せ──」という一説が出てきました。大阪人の私としては、いくら大阪は、蕎麦よりうどんが有名でも、二八うどんと言うのは、聞いたことが無い。京極先生、二八蕎麦と間違えたんじゃないのかなぁと思って調べてみたら、次のようにありました。

日本国語大辞典』には、「二八そば」では両説が併記してあり、「二八うどん」には「江戸中期以降の1枚16文のすうどん」とあります。

そうなのかぁ〜〜。江戸中期には、二八うどんって本当にあったんだ!流石は京極先生、おみそれいたしました。

「御行奉為──」
  
 りん。

「凍りのくじら」 辻村深月 講談社文庫

藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う1人の青年に出会う。戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。そして同じ頃に始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な“道具”が私たちを照らすとき――。
(紹介文引用)

 

本作品は、前回『かがみの孤城』を読んだ時に、辻村さんの作品をもう一作品読んでみたいと思い、私の敬愛する読書家のべるさんにお願いして、ご紹介して頂いた作品です。

本作は、辻村さんらしい、主人公や登場人物の心理描写がとても繊細で美しい文章でした。辻村さんは本当にリーダビリティがある作家さんだと改めて思いました。

この作品をミステリと思って読み始めていたので、なかなか、ミステリになってこないなぁと思いながら読んでました。最後の章で、ミステリというか、ファンタジー?いや、やっぱり本作品に出て来る藤子不ニ雄のSF(少し・不思議)だなぁと思いました。

主人公の女子高生の心の揺れは、あまりにも繊細で中々理解するのが難しい所もありました(特にあの身勝手で赤ん坊の様な元カレに対する対応とかは、特に途中までの)。でも、最後の方の山の中で照らされた光は、彼女のその後の人間との繋がりや、引いては人生そのものに影響を与える父の愛情の光だったのだろうなぁと思います。何か、読者である私までも幸せになったような気がしました。

蛇足ですが、主人公の理帆子ちゃんのゴルゴンゾーラパスタ好きなのはちょっとビックリした。私、ゴルゴンゾーラ苦手なんですよね。年に見合わずお口がお子様なもんで。^^;

あと、途中で出て来る別所君、高校生とは思えないいぶし銀のいい味出してるなぁと思ったのですが、そう言うことだったんですね。なるほどなるほど。

大変、読後感のよい作品でした!

最後に、素敵な作品に巡り合わせて下さった、べるさん。心より感謝しております。

 

ご心配をおかけしました。妻のその後。

妻の癌のその後ですが、手術で切除した乳房の病理検査の結果、「完全奏功」との診断が出ました。元々あったがん細胞が、術前の抗がん剤治療の効果で完全に消滅しているとのことらしいです。現時点での最高の結果が出ました。この後、手術した患部が治ったら、放射線治療をする予定です。これは、念のため、再発予防のためとのことです。当初、予定されていた術後の抗がん剤治療はしなくて良いことになりました。

お陰様で、一命をとりとめることができました。また闘病生活も先が見えてきました。

べるさん、わぐまさん、ムっくんさんをはじめ、皆さまには大変ご心配をおかけし申し訳ありませんでした。また、たくさん応援してもらい感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

「首無の如き祟るもの」 三津田信三 講談社文庫

奥多摩の山村、媛首(ひめかみ)村。淡首(あおくび)様や首無(くびなし)の化物など、古くから怪異の伝承が色濃き地である。3つに分かれた旧家、秘守(ひがみ)一族、その一守(いちがみ)家の双児の十三夜参りの日から惨劇は始まった。戦中戦後に跨る首無し殺人の謎。驚愕のどんでん返し。本格ミステリとホラーの魅力が鮮やかに迫る「刀城言耶(とうじょうげんや)」シリーズ傑作長編。
(紹介文引用)
 

読み終わりました〜!
いやぁ〜凄い作品だなとビックリ仰天しました。

この作品は、私の敬愛する読書家のべるさんにご紹介して頂いて、読むことが出来ました。前々から、どんな作家さんなのかなぁ?と興味を持っていまして、横溝正史風だったら良いなと思って、厚かましくも思い切ってべるさんにお伺いしたところ、本作の刀城言耶シリーズが横溝系で、シリーズの中でも、本作が一推しとのことだったので、横溝正史好きの私は、かぶりついて読み始めました。

作品の最初から、おどろおどろしさ全開でした。

読み始めて間もない頃に出てきた、はないちもんめが横溝正史の「悪魔の手毬唄」みたいだなぁと思っていたら、途中で、全国の手毬唄の一例が出てきて成る程、やっぱりそうかと思いました。

地方の旧家の因習やその地域に根付いている伝説など、色々な点で横溝正史と似ており、横溝正史のミステリを元にそれを超える作品を作者は書こうとしているのか、はたまた横溝正史作品に対するオマージュなのかな?と思いながら、中盤まで読んでました。

終盤、最終章の怒涛の展開、謎解き、複雑なトリックいやぁ〜圧巻でした!
めちゃくちゃ何重にも張り巡らされた伏線に、どんでん返しに次ぐどんでん返し。頭がぐるぐる回ってしまいそうでした。

そして、作品の終わり方が凄く淡々としていて、それでいて、背中がすぅ〜と寒くなるような恐ろしさがあって、唸りました。この三津田さんの作品は、恐く、面白く、そしてまた、うすら恐ろしいという、素晴らしい作品でした。ミステリとホラーの融合なのかも知れませんが、私は、今までにホラー小説というものを読んだ事がないので、正直な所、融合かどうかは、分かりません。

私も思っていたように、三津田さんという作家さんは、横溝正史と比較されやすいかも知れませんが、推理部分と構成部分で凄くオリジナリティがある作家さんで、とても魅力的だなと思いました。このシリーズ、他にも作品があるみたいなので、是非また読んでみたいなと思っています。

最後に、素晴らしい作品に巡り合わせて下さった、べるさんに心より感謝しております。

 

「鵼の碑」 京極夏彦  講談社ノベルス

百鬼夜行シリーズ17年ぶりの新作長編がついに!
殺人の記憶を持つ娘に惑わされる作家。
消えた三つの他殺体を追う刑事。
妖光に翻弄される学僧。
失踪者を追い求める探偵。
死者の声を聞くために訪れた女。
そして見え隠れする公安の影。
発掘された古文書の鑑定に駆り出された古書肆は、
縺れ合いキメラの如き様相を示す「化け物の幽霊」を祓えるか。
シリーズ最新作。
(紹介文引用)

 

ようやく読み終わりました!
いやぁ〜楽しかった!!

興奮冷めやらぬうちに、直ぐにブログの記事を書きたかったんですが、読み終わったのが、昨日の午前2時半。さすがに諦めて寝ました。

それでも、まだ気持ちも頭もホットなうちに書きたいと思って起きてすぐに、記事を書いてました。今回の記事も直接ネタバレにならない様に書こうと思いましたが、今回は、内容にも直接触れたーいと思いましたので、まだ本作を読んでなくて、この後、読んで見ようと思ってらっしゃる方は、この私の記事は、読まずに、新たに本作を読まれることをおすすめします。もう、すでに本作を読まれている方や、本作を読む予定のない方は、私の駄文にしばしお付き合い頂けたらなと思います。

ページを開いて読み出して見ると、出ました古書引用!長い!最初は頑張って読みましたが、最後の方は斜めに読んでしまいました。昔は、古書引用のページも全部しっかり読んだのですが、やっぱり歳でしょか?!でも、昔よりも古書引用のページも増えてると思う。

さて、読み始めてまだたった70ページ程だったが、やはり京極夏彦の作品を読んでいると、文学を読んでいるなぁって気がしました。ただのミステリとは違う文学の匂いがします。

そして、そろそろ誰かレギュラーメンバー登場してくれないかなぁと思っている所での関口先生の登場は、とても嬉しかったです。相変わらず、自虐的で(笑)

話は飛びますが、「そりゃ久遠寺医院ですな。雑司ケ谷の」と薔薇十字社に依頼してきた客に、益田君が言うのを聞いて、懐かしい〜「姑獲鳥」だぁ〜と感慨一際でした。

今回のお話の舞台である日光が明治時代から、外国人保養所であったとは、初めて知りました。

今回のお話において、関口先生は、頑張っていると思いました。脳が騙しているくだりなどは、まるで、哲学者のようで、素晴らしかったです。

途中、中禅寺が話す、江戸時代、明治時代、大正時代、終戦後の、政治と宗教の関係性の考察は、大変面白く、勉強になりました。

京極堂シリーズの中核メンバーがどんどん日光に集まって来る。もう、なんだかワクワクしてきます。木場修も途中から登場して来るのですが、早く日光へ行けって内心思いながら読んでました。

途中で出てくる、戦争と国民の認識、つまり、戦前、戦中と国民は本当に戦争は、厭なものだ、いけないものだと思っていたのだろうか?という辺りの考察は、深くて、もっともだなぁと思いました。大本営に情報統制され、マスコミもその統制下にあれば、もし自分がその時、生きていたら、戦争は良くないと胸を張って言えたかどうか甚だ疑問だなと自省しました。それから、学び、考え、理解して、そして判断するということは、本当に重要なことだと再認識させられました。

中禅寺が途中で言う「真面目に生きている民草が飢えるなら、それは国政の力が及ばないか間違っていると云うことなんですから、これは明らかに政治の責任でしょう。」この一文を今の政治家によく聞いて、己を鑑みて欲しいものだと強く思いました。

なんだかんだ言って、私は中禅寺の蘊蓄が好きなんだなぁと改めて認識しました。また、この時代背景ならではの世界観も好きだなぁと思いました。

今回のお話では、えのさんの活躍は少なめでしたし、中禅寺の蘊蓄も控えめでしたが、私の好きな四角い木場修の活躍が多かったのは、個人的に嬉しかったです。

この1135ページ(Kindle版)にも及ぶ長編を、飽きること無く、読者に最後まで読み切らせる力量は、京極夏彦以外には持ち合わせている作家は居ないと思います。本当に京極夏彦は凄いと改めて唸りました。

5つの切り口から少しずつ少しずつ真相に迫って行き、そして、最後に1つの真相にたどり着く時には、「鵺」が「鵼」になって、京極堂によって、全員の憑き物が落とされてスッキリ解決出来、めでたしめでたしでした。

いやぁ〜本当に楽しかった!また、もう一度最初から読み返してみたいぐらい面白い作品でした。次回作は、17年後じゃないといいのだけど。京極先生、次も期待してます!

 

「ファラオの密室」 白川尚史 宝島社

 

第22回『このミステリーがすごい!』大賞・大賞受賞作!
紀元前1300年代後半、古代エジプト
死んでミイラにされた神官のセティは、心臓に欠けがあるため冥界の審判を受けることができない。
欠けた心臓を取り戻すために地上に舞い戻ったが、期限は3日。
ミイラのセティは、自分が死んだ事件の捜査を進めるなかで、やがてもうひとつの大きな謎に直面する。
棺に収められた先王のミイラが、密室状態であるピラミッドの玄室から消失し、外の大神殿で発見されたというのだ。
この出来事は、唯一神アテン以外の信仰を禁じた先王が葬儀を否定したことを物語るのか?
イムリミットが刻々と迫るなか、セティはエジプトを救うため、ミイラ消失事件の真相に挑む!
浪漫に満ちた、空前絶後本格ミステリー。
(紹介文引用)
 

読み始めは、古代エジプトという壮大な世界観に入り込めるだろうかと少し気後れしてました。それから、目次の後に、海外のミステリ小説でよくあるような、主な登場人物として、たくさんのカタカナの名前とその人物の役割が書かれていました。この時点で名前と役割を覚え切れるだろうかと、少し不安になりながらの、本作品の読書出発となりました。

しかし、この心配は、杞憂と終わりました。本作の作家である白川さんは、凄く読みやすく、言葉の選び方が巧みで、リーダビリィティのある作家さんでした。なので、古代エジプトの壮大な世界観にもすんなり入り込めました。また、私自身、主な登場人物の名前も一度だけ見直しただけで、登場人物は出て来る度にほぼ説明があるので、国内のミステリ小説を読むのと、ほとんど違いは、ありませんでした。

読み進めていく上で、奴隷の厳しい生活に目をふせぎたくなる箇所もありましたが、その奴隷で異国人であるカリの眼を通して描かれるエジプト人特有の死生観が面白く感じました。

また、この作品、大きな本命の謎もあるのですが、途中に出てくる小さな謎もあり、奴隷の石運びがなぜ遅れるのか?というトリックにはなかなか驚かされました。

また、主人公で探偵役でもあるセティが一度死んで、心臓にカケがあるから、現世に戻されたという設定もよく出来ていましたし、また、エジプト人の現世と冥界との関係性の考え方も非常に興味深いものがありました。

セティの父イセシとセティの親子の愛には、胸が熱くなりましたし、セティと親友のミイラ職人のタレクとの友情も大変深く描かれていて、単なるミステリ小説の前に、しっかりと人間を描けている素晴らしいヒューマンドラマだなぁと感嘆しました。

また、エジプト人の絶対君主である王の捉え方もなるほど良く描かれているなと思いました。

ミステリ面では、物理的なトリックについては、よくありそうなものかと思いましたが、最後の真相には唸らせれるものがありました。

最後の審判の真実とは?という問いに対する答えが深かったのが、最も印象的でした。

次元を超えて繰り広げられるミステリとヒューマンドラマの融合。大変楽しませていただきました。