(紹介文引用)
再再読。『姑獲鳥の夏』同様、初読、再読から、約30年経って本作『魍魎の匣』を読みました。30年前、この作品がとても気に入って、京極堂シリーズでは、唯一、再読した覚えがあります。再読までしている割に、本作もぼんやり、エンディングのシーンを覚えていただけで、ストーリーの詳細は、まるっきり忘れておりました。その分今回の再再読も非常に楽しめました。
さて、本作ですが、私の好きな、四角くて頑丈な刑事、木場修が恋するというか、本人は分かっていないが、恋愛していると言う所が、木場修らしくなく、でも、そんな武骨な木場修だけに、なんとも微笑ましく見てられる出だしでした。
途中、関口君と雑誌編集者の鳥口君が、京極堂の所を尋ねた時に、京極堂がいつものように蘊蓄を話します。その時の、宗教者、霊能者、占い師、超能力の定義の違いについての考察が非常に興味深いものでした。普遍宗教と民族宗教の違いもとても分かりやすく、説明されてて、勉強になりました。
次に、京極堂の蘊蓄の中で、ロンブローゾの生来性犯罪説が、出て来た時は、ビックリしました。昔、本作を読んだ時は、完全にスルーしていたんだと思いますが、今回は、貴志祐介さんの『黒い家』を読んで、ロンブローゾの生来性犯罪説を学んだ所だったので、とてもタイムリーでしっくり納得がいきました。
後半にかけて、前半からずっと伏線として出て来ていた久保竣公がバラバラ殺人の犯人と言うのは、非常に分かりやすくて納得しやすいものでした。ただ、その久保竣公が今度はバラバラにされて殺害されるとは、夢にも思っていなかったので、頭を殴られたような衝撃でした。
前回(約30年前)本作品を読んだ朧げな記憶では、京極堂は、美馬坂博士を非常に嫌っていたと言う印象が強かったのですが、今回読んでいて、途中に京極堂が榎さんや関口君に美馬坂博士の話しをする時は、旧知の間柄でと説明して、博士の事を一方的に糾弾しなかったのには、少々驚きました。最後に、京極堂が美馬坂博士を自分と同種な人間と思っていた節があるのを関口君の言葉から分かりました。そして、美馬坂博士の事を京極堂は、一目を置いていて、尊敬していたのだなと。だから、30年前に読んだ時、京極堂と美馬坂博士との、やり合いが非常に面白かったのだなと、腑に落ちました。
事件後、関口君が京極堂に魍魎とは一体何だったんだと聞くシーンがあり、そこで京極堂が、「いずれにしても関口君。魍魎は境界的なモノなんだ。だからどこにも属していない。そして下手に手を出すと惑わされる。気をつけた方がいい。あちら側は、特に君のような人間には蠱惑的だぜ」と返答します。この台詞に込められた、人間がややもすると、惑わせれて、魔がさして、境界線の彼方側に行ってしまう可能性があると言う所にこの作品の怖さと中心的な考えがあったような気がしました。本作『魍魎の匣』を再再読できて幸せでした。